与えられる事よりも与える事を考える

いつも見ている人のブログで心に刺さった事が書かれていた。
ご本人のブログにコメント欄がないので、無断で転載させて頂いた。


夫に幸せを与えられることのみを求めているうちは、


私は一生幸せを感じられないのでは無いか


反対に「私は夫に何を与えることができるか」と考える


ここに幸せのヒントが隠れていると感じる


うつ状態になり無反応な夫を前に、


与えられることばかり求めると、


無視されることが苦しくなり、


夫のために食事を作ることさえ嫌になる


報われない気持ちになり、


夫の存在を忘れたくなる


煩わしい存在となって、


結婚したことまでも悔いる


無視される自分がとても不幸に思えて、


とても悲しくつまらない人生を生きているような気持ちになると言ったふうに、


次々と不満で心がいっぱいになる


だが、


夫も好きでうつ状態になっているのではない


これは彼が昔から抱えている弱さだ


その弱さを排除しようと思うことに、


己のニンゲンとしての浅さを見る


そんな夫に私は何を与えることができるだろうか


今思いつくのは、一杯の味噌汁


だが夫も親友同様


「この味噌汁さえあればおかずは要らない」と言ったこともある


それでいいのではないか


この私が作った味噌を、


身近な二人が楽しみにしているのだ


このことに私自身が感謝する者となりたい


己の発した言葉がそのまま心に返ってきたことで、


自分というものを省みた


人として深い思いやりのある人間になりたい


その祈りが聞かれるために、


弱さを抱えた夫と暮らしているのでは無いだろうか






与えてもらう事ばかりを望んでいると、幸福を求めながらも反対の方向に人は行ってしまうという当たり前の事を、暫し忘れてしまう。


私は夫と結婚して35年になるが、与えて貰う事を感謝していなかったと反省した。


この数年夫とギクシャクしたりしたが最近、色々と腹立たしい事があるが、何かの縁があって夫婦になったのだから、私が出来る範囲で夫に親切にしようという心境になった。


私が変われば夫も変わってきたなと感じる。


死んだ後に何故もっと相手を幸福にする事に心を砕かなかったのだろうかと後悔したくないと思った。
生きている間にしか出来ない事を、実行してみようと思った。


こんなシンプルな事に気がつくのに、何十年もかかっていたとは!
トホホだよ~😴

×

非ログインユーザーとして返信する